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すけっち
通信No.1(2006.1)より
映画創成より110年余り美術の仕事がどの様に認められ、また、どの様な先輩がおられたかを知るのは、 監督や撮影監督(カメラマン)に比べると初期30年位は資料にとぼしく難しいのが現状です。 書籍や資料からノートにメモっても、それを系統づけ整理するには時間がかかり大仕事なので、 幾つかの項目に分けて拾ってみることにします。  今回は美術のタイトルについて整理してみました。フィルムセンター所蔵作品リスト、キネマ旬報(日本映画大鑑1〜5) やミソノ・プロダクションの資料他に頼るしかなく、また資料によっては明示が異なるものも少数ありますが、 タイトル名示が異なるものを年代順に追ってみました。
1920(大正9)年 大活(大正活動株式会社)『アマチュア倶楽部』(栗原トーマス監督)
美術設計 尾崎庄太郎
1920(大正10)年 松竹キネマ研究所 『路上の霊魂』(村田実監督
室内設計 溝口三郎
1922(大正11)年 日活向島 『京屋襟店』(田中栄三監督)
舞台装置 亀原嘉明
1925(大正15)年 日活  『忠臣蔵』(池田富保監督)
装置 安井善二郎 角井喜一郎
1928(昭和3)年 衣笠連盟  『十字路』(衣笠貞之助監督)
美術  友成用三
1929(昭和4)年 松竹蒲田  『朗らかに歩め』(小津安二郎監督)
舞台設計 水谷浩
1930(昭和5)年 松竹蒲田  『麗人』(島津保次郎監督)
美術監督  脇田世根一
1931(昭和6)年 松竹蒲田  『マダムと女房』(五所平之助監督)
美術意匠 脇田世根一
1932(昭和7)年 松竹京都  『忠臣蔵』(衣笠貞之助監督)
舞台意匠 吉川観方(日本画家)  設計 香野雄吉
1935(昭和10)年 松竹蒲田  『春琴抄ーお琴と佐助』(島津安二郎監督)
考証舞台装置 小村雪岱(日本画家) 美術監督 脇田世根一
舞台美術 高橋夷子
1937(昭和12)年 PCL前進座  『人情紙風船』(山中貞雄監督)
美術考証 岩田専太郎(画家) 装置 久保一雄
1941(昭和16)年 興亜映画・松竹京都 『元禄忠臣蔵(前後篇)』(溝口健二監督)
美術 水谷浩 建築 新藤兼人 武家建築考証 大熊善邦
民家建築考証 藤田元晴 忠実考証 内海定次郎 時代一般考証 江馬努
風俗考証 甲斐荘楠南 造園考証 小川治兵衛
美術のタイトルを整理すると、
美術、美術設計、美術意匠、美術監督、美術考証、美術補佐、美術差配
舞台装置、舞台設計、舞台意匠、舞台美術
装置、設計、大道具設計、建築設計、建築
セット、セットデザイン、デザイン、アートディレクター、プロダクションデザイナー・・・・

と、多々のタイトルが使われてきてますが、940年頃から、戦後、1950年位迄に美術に統一されました。
また、近年美術監督から主としてアニメ作品にアートディレクターが使われだし、プロダクションデザイナーという
方向でタイトルに使われた例も見られるようです。
「美術監督」のタイトルが1935(昭10)年頃水谷浩さん達の意向で明示され、と聞いていたのですが、
1929(昭4)年松竹作品にみえており、松竹蒲田の城戸四郎所長(大正15年より就任)の新体制としてとられた
上野の美術学校(現芸大)出の画家脇田世根一さんを呼んで発足した美術の新しい息吹ともとれ、
水谷浩、河野鷹思、金須孝、その後に加わった浜田辰雄、久保一雄の諸先輩の美術のあり方ともとれると思います。
が、その前後でも「美術」、「美術意匠」、「舞台装置」等のタイトルが使われており、
「美術監督」のタイトルが名実共に使われるには長い道のりがあった様に思われます。
また1941年(昭和16)『元禄忠臣蔵』にこれだけの学者大家を考証者としてタイトルに連ねたあたり、
溝口さんの面目踏如、当時のこの大作への意気込みと「美術監督」としての水谷さんの対応に、
並々ならぬものが感じられます。

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