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すけっち
通信No.5(2008.1)より
今年の総会の後、福澤君から原稿の依頼をされ、一寸戸惑いました。今更現役でもない私が何を書いたらいいのか、来年はそろそろ引退しようと思っているのですから....。
  育野重一先輩に勧められ、日活美術助手が大挙入会したのがいつのことだったか、もう30年前になるかもしれない、昔のことになりました。
  私は映画美術から博物館などの展示企画・設計の仕事をやるようになりましたが、映画制作の現場とは継がりがあります。
  展示には映像展示というものがあります。映像資料そのものを展示する場合と新しく映像を作る場合があり、新しい映像を作るとなりますと、シナリオ制作、美術も必要になります。展示設計にもストーリー作り、シナリオ制作が必要です。
  台東区立下町風俗資料館の長屋展示は映画美術経験者のシナリオ作りから始まり、私の設計で映画界特有のツマリの寸法を採用し、施工の最後の仕上げは東宝美術が行いました。
  江東区深川江戸資料館の場合、映画演劇経験者がストーリー作り、シナリオ作りを行いました。表店、裏店の住人とその生活は状況設定がリアルに表現され、パンフレットの解説文を読むと、詳しく分かるように配置されています。このとき、美術の最終仕上げは日活美術が行いました。
  この2つの展示における制作技術は映画美術が駆使された日本で初めての試みと言われました。
  展示で、映像が主役になる場合もあります。宇治市にある源氏物語ミュージアムでは篠田正浩監督、池谷仙克美術で『浮船』が毎日上映されています。今や博物館等、テーマパーク施設では映像表現は常識になっています。
  さて、前置きはその位にして、私が昨年の春に終えた仕事を紹介しましょう。表題の長崎市出島復元の仕事です。私が元請会社に呼ばれて長崎に行った時には発掘調査は既に終わり、「カピタン屋敷(底面積約130坪、木造建築2階建)」が建築中でした。
  出島は江戸時代においては扇型の島で海に張り出していました。現在では長崎市内の風景に埋没して判然としません。長崎市では中、長期計画で徐々に昔の姿を取り戻す計画です。
  残された資料から、建築中のカピタン屋敷の一階は倉庫空間が多く、居住空間は二階に集中しています。外側にある階段でベランダに上がり入口から入ると、
1.入口 ロビーと玄関の間 2.会議室 A 3.会議室 B
4.大広間 5.執務室 6.カピタン(商館長)の寝室
7.女中部屋(遊女の部屋) 8.図書室 9.休憩室(上級船員食堂)
以上の構成になっている。これらは、発掘調査の成果のほかに、川原慶賀(江戸期の絵師)らが描いた絵画資料、文献資料、オランダ側が作った出島建築模型(ライデン博物館蔵)などを参考にして復元計画がなされたのです。中でも、残された資料が比較的多い商館長ヤン・コック・ブロムホフ(1817〜1823)の時代を再現することになりました。
 17世紀の初頭から、約200年間オランダ国旗が長崎出島に毎日掲げられました。しかし出島は幕府が鎖国体制を維持するため、オランダ人達を幽閉するために作られたものです。出島は幕府が鎖国体制を貫きながらも唯一の海外への窓口として利用していたのです。再現建築の内部の床は畳、壁は唐紙、天井も主として唐紙、窓はカーテンがつるしてある。それまでが、建築工事の範疇でした。
  私の仕事は、各部屋での生活を再現してドラマ化することでした。19世紀のオランダ、ベルギーの生活を勉強することから仕事が始まりました。今までに映画でオランダが表現されているものが無いか調べフランスの名画『女だけの都』(1935、ジャック・フエデ監督、フランスエ・ロゼエ主演)を思い出しました。舞台は17世紀初頭、スペイン軍がフランドル地方の小都市に一夜駐留することになり、小さな町が大騒ぎになるコメディですが、当時ベネチア国際映画祭で監督賞を受賞した名作です。特に、ラザール・メールスンの映画美術手法には感銘を受けること必至であります。
  この映画の時代とブロムホフ時代の出島と約200年の差がありますが、家具は西洋工芸史の本で調べ、オランダから送られてきた写真を見ると、服装の流行ほど変わるものではありません。家具は50年、100年経ってもあまり変わるものではないことを再確認しました。まして、故国を離れてアジアに来ている連中の生活はヨーロッパにいるのと違い自由になれるものではないでしょう。
  もう一つの参考映画は英国映画『デュエリスト・決闘者』(1977リドリィ・スコット監督、ハーベイ・カイテル、キース・キャラダイン主演)です。この映画は1800年ナポレオン戦争に各地で翻弄されるフランス陸軍士官の物語です。当時の軍人生活がよく表現されています。
  ヤン・コック・ブロムホフは15才でフランス同盟軍に加入後、ドイツ猟銃兵連隊勤務、イギリス軍将校として軍人畑で活躍しました。出島に来た他の上級船員(商館員)もこの時代の軍務体験者であったであろう。従って、この映画は当時の軍隊における公私の風俗、服装、雰囲気などが素晴らしく表現され、前述の各部屋をイメージし描くのに大いに参考になりました。
  本格的に各部屋のドラマ化する作業を始めました。まず、商館長ブロムホフが書いた「オランダ商館日誌」(9巻、自1820年 至1822年、雄松堂出版)を読むことから始めた。それは、この日誌の中で各部屋に何があったかを読み取る作業でした。川原慶賀の絵でオランダ正月の宴会場面などは料理の種類まで分かるが、全てがそのようには行かない。商館日誌からその日出来事を判断し、どの部屋が使われたかを屋敷の平面図を見て設定していくのである。例えば、新商館長との引継儀式の場面設定では、執務室に隣接する会議室Aを使うだろう。その場合に新商館長と前任の商館長をどこに立たせるか、引継書類や幕府の朱印状の箱はどこに置くべきか、12名の商館員達の服装は、家具類は、乾杯用の酒は3種類の酒、シャンパン、ワイン、ジュネバジンのどれを使うかと枚挙に暇がない。各部屋の現場を演出するために各場面のシーンスケッチとシナリオ原案を作るのです。場面設定を全て同時代の出来事にするには限界があります。時代を拡げる意味で商館日誌9巻のみではなく、3巻、4巻、5巻、6巻、7巻、8巻そして10巻と8冊に目を通さざる得ないことになりました。そのために専門のスタッフ(読み屋)起用しレジュメを作りました。いわゆる撮影時に使用する場面割香盤です。2か月後に各場面のシナリオ原案とシーンスケッチが出来ました。しかし、これは日本側が作ったものです。オランダ側の判断も必要です。当方の提案で長崎市を通じてオランダ国立民族博物館に監修を依頼しました。シナリオとスケッチに質問文を添えてオランダに郵送されました。先方の主任学芸員マティ・フォラー氏(日本美術研究者であり、出島研究者でもあります。)がチェックして返送、それを書き直し更に郵送する。このやりとりが数回行われ、段々と本物になってくるのです。本格的な打合わせは当方がオランダに出向きました。数回の打合わせの後アムステルダムのアンティークショップへ家具の調査にも行きました。
 シナリオの構想では各部屋の展示に一切人間(人形)を設置せず、側に解説装置を設置して映像で解説するという計画です。映像でその部屋が映りオランダ人俳優が活躍するという試みです。全ての道具類がセッティングされた各部屋をロケし、そのカットに別撮りしたオランダ人俳優をCGではめ込むという計画です。オランダでの打合わせは5日間、毎日9時半から国立民族博物館の旧棟会議室で夕方まで行われました。私の場面設定を基に打合わせが始められました。家具の配置と種類、人間(俳優)の位置と風俗、小道具類に至るまで細かい打合わせになりました。8場面の打合わせで、フォラー氏は、壁に掛けてある大きな鏡の位置については日本の現場へ行ってから決めることに固執していました。家具等の決める物を決めた嬉しさで、その時は鏡の位置について大して気にしていませんでした。後で分かったことですが、ロウソクやランプの時代に壁鏡は単なる姿見だけでなく、窓から外光やランプの灯を倍に見せる照明器具の代わりだったのです。日本人には気付かない点です。フェルメールやレンブラントの絵を想い起こせば光に対してオランダ人が如何に敏感だったのか分かります。最近、テレビでオランダのドキュメント映画『オランダの光』を見ました。オランダは北海のために曇天の日が多いが暗くなく妙に明るく遠くまで見渡せるのです。オランダは沼沢地が多く雲間を通った光が沼沢地に鏡のように反射し、低く垂れ込めた雲に拡散されるためです。明るく遠くまで景色が見渡せるためにオランダでは風景画が発達したそうです。
  カピタン屋敷の展示企画が出来上がった頃、屋敷裏側にある乙名部屋と番所役詰所の展示の仕事が発生しました。降って湧いたような話でしたが以前からの懸案だあったようです。
  乙名とは名主と同じ意味で出島の場合、町乙名と呼びます。乙名部屋と番所役詰所がどのような性格の施設だったかを展示するために残された文献資料・絵画資料・研究資料を調べなければなりません。次に挙げたのはその資料です---「出島とオランダ商館」/中村 質/朝日百科「萬記帳」/丹羽 漢吉 校/長崎史談会編「鎖国下の長崎と町人」/赤瀬 浩/長崎新聞社「出島乙名についての一考察」/古賀野 親子「出島乙名一覧」/長松 親子 ---先人達の研究論文を読み、出島乙名は出島の町政全般を担うとともにオランダ人の監視をするという役職であることが分かりました。町年寄の下で町政を携わる民間管理者(町年寄り、町乙名ともに町人)であることが分かりました。
私はスタッフと長崎奉行以下の組織と役職、その相互関係などを人数を含めたフローチャートを作りました。一私見ではあるが初めて作られた「出島書役職方一覧」である。ある日、オランダ船の荷揚、検査検品、及び土木営繕などが重なると出島で働く人数は日雇い労働者を含めると300人は下らないことが判明しました。それから推測して、その人達を管理する乙名部屋と番所役詰所の業務規模が想定できます。業務生活の様子は「徳川幕府懸治要領」を参考にスケッチ、業務机などの設計が進められました。
  平成18年4月1日、出島の落成祝賀会が開催されました。
  しかし、日本とオランダの国家的、歴史的イベントでありながら感動的演出に欠けていました。
  カピタン屋敷の8場面の展示は予算上の制約があり、今回は3場面に縮小解説映像も規模縮小でアニメ表現になりました。アニメが悪いとは言いませんが、幕府体制下での日本で唯一の外国との窓口である出島の存在を考えると疑問をもちました。歴史を正視して今後の判断材料となるためにはある程度のリアリズム表現が必要であると思います。 NHKの「その時、歴史が動いた」は良い参考になると思います。
  分かれば良い、理解できれば良いではなく、観客の分かり方が問題なのです。そのために総合プロディース、演出力があるのです。
  ある感動をもって分かると言う事と、漫然と分かるという事は違います。教育と育成の違いです。
  映画美術監督は、映画の筋の運びをすべて、監督と同じように理解しなくてはならない。監督と同じように、美術の担当者はイニシアティブと想像力が必要なのである。美術監督は監督がドラマティックなリズムを生み出すために俳優を使うのと同じ方法で、視覚のリズムを創るために、「人間ではない」要素を利用しなくてはならない。=アルベルト・カバルカンティ=(「映画と現実」1954年)

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