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すけっち
通信9(2010.3)

『武勇伝』 岡村匡一

活動屋とか美術屋とか呼ばれる我々は職人だろう?
(私はそう思う)職人と言うからには、当然親方なる人物が存在する(ギルドの頃からのお話し)いわゆる、徒弟制度である。撮影所(映画会社)が機能してた頃は、職人といえど会社員なのである。人間関係としては。会社の先輩、後輩である。
 しかし、撮影所がその機能を失いつつある時代には、新しい人材を雇用しなくなった。そしてフリーランスの美術志望の若者たちが、作品単位で撮影所と契約されるようになってきた。そんな時代に、私はいた。自分も御多分にもれず、そんな若者のひとりである。

 まだ撮影所の撮影、照明などは社員がほとんどだった。そんな中にどこの馬の骨とも分からぬ、若造が送り込まれるのである。ヒヤヒヤもんである。現場の社員連中は、ほとんどが40代から50代前半血気盛んで元気だった。
威勢もいいし(笑)
地方ロケの宴会ののりは、大変で余興の嵐、こめかみが痛くなるほど笑えた。そんな撮影所の雰囲気の中で働いていたのである。

 職人になろうとしている私は(笑)まず、技術を教えてもらわなければいけないのである。でも、まずは兄弟子たちからである。彼らとは歳も近いしある程度気軽に話せる。それに境遇としては同じである。彼らこそ撮影所と契約した先駆者たちなのである。なんとなく憧れの存在である。兄弟子たちとは、先輩、後輩の仲である。良き兄貴分なのだ。(笑)今の人たちは、そう言う人間関係がかわいそうに希薄になってきたと思う。今の現状では私が体験したような人間関係を築いていくのは、もう無理なのかもしれない。

 こんな話がある。先輩同士の話である。デザイナー室にひとつの長椅子があった。美術という仕事、ちょっと休憩には、もってこいのソファーだった。しかし、そのソファーの多くの使用方法は、明け方近くまで撮影所近辺で飲んで就業時間まで仮眠を取る唯一のベッドであった。それで両先輩諸氏もそれに習っていたわけである。しかし、デザイナー室のソファーはひとつ。当然ソファーを使えるのはひとり。そこで先輩たちの中の先輩後輩である。これも先駆者たちの考え方なのであるが、撮影所を基本に物事を考える。ようするに、先に撮影所と契約した順なのである。(笑)たとえそれが、一ヶ月だろうと二ヶ月早かろうと、先輩後輩なのである。
 こんな話は、この世代の人たちでは、良く聞く話である。「あいつの方が、三ヶ月だけど先輩なんだ。それで先輩面されるのが、気に入らない!」とかね(笑)そこで当然ソファーの話なのだが、先輩はソファー、後輩は床となるわけである。

 なんとなくばからしいと思う諸兄もいるかもしれない、ほのぼのとしてる感じがするのは、私だけなのかな?体育系ののりではない、文化系ののりなのかな?これも古きよき時代と呼ぶのかな?昭和の話ですから。
 私にも、師匠と呼ばせてもらっている、素晴らしき映画人がいる、当然美術屋である。今で言うプロダクションデザイナーの先駆者的な御仁である。若い頃から、厳しくしてもらったもんである。

  鉛筆の持ち方が悪い
定規の持ち方が違う
カメラの構え方が悪い
写真の撮り方が悪い
ロケハンのスクラップブックの整理の仕方が悪い
エトセトラ、エトセトラ・・・(笑)

事細かく指導を受けたものである。

 まあー師匠との思いではつきないし、現在も進行中である。私が初チーフの時の話である。美術ロケハンで、函館に向かうとき一喝された。
「ズボンが、汚れてる!」って。Gパン、シャツ、ジャケットと言うラフな格好!別段自分的には汚れてるって感覚はなかったので目が点です(笑)
「ここで指摘されても・・・・」と、私は開き直るしかないので、適当に口をにごしときました。なにせ挨拶もそこそこの一喝ですから、眠気も覚めるってもんです。今、考えると「やられたっ!」って感じですね。

 今、映画作りが変化していく中で、人が映画作りをしていることは何も変わってないし、ただ映画作りの環境が大きく変化したのは事実である。映画という物が、産業から家内制手工業に没落してしまった今でこそ、人材育成が必要だと思うのだが、個人の力ではなんともしがたいと思う。
 徒弟制度の崩壊は、映画美術という物の根本を揺るがす物ではないかと思う。固いまとめにはなったが「映画美術」しいては「映画文化」という物の意味をもう少し掘り下げて、いって欲しいものである。
 なんとなく、懐古的な話にもなってしまったが、でもこういう時代があった事は事実だし、私は生きてきた。こんな時
代を経験した人たちも、もう四捨五入すれば皆50代以上になっているのである。
 20代〜30代前半の一線で働いている諸氏はいかに感じているのだろうか?今の時代の映画作りを!そして彼らは職人を目指しているのかな?


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