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すけっち
通信9(2010.3)

さんかく山のマジー 〜真夏の夜の夢〜 中岡陽子

こんにちは。比嘉(中岡)陽子です。
私にとって初めての美術監督作品になる、中江裕司監督の「真夏の夜の夢」。
(ちなみに沖縄県内では「さんかく山のマジルー」というタイトルで公開されています。)

この映画は去年の夏、沖縄の小さな離島、伊是名島にて撮影されました。 シェイクスピアの喜劇「真夏の夜の夢」を沖縄を舞台に大胆にアレンジした、妖精と人間の織りなすファンタジーコメディーです。

一見するとドタバタな展開のストーリーのようですが、その中に描かれている主題は、
現代人が忘れかけている人間と自然のつながりや、自然を敬うことなくしては、人は幸せになれないのではないか?という問いかけです。

監督の中江裕司さんは、関西出身、沖縄の大学に進んだのがきっかけで、以来沖縄に暮らし、沖縄を中心に映画を撮り続けている方です。
そして、那覇の映画館「桜坂劇場」を復活させた、経営者でもあります。

中江さんは、東京から遠く離れた沖縄を拠点に活躍しているせいか、日本映画界では常識のようになっている、さまざまな制約にはあまり影響されてないような気がします。
東京から来ると、監督が自然に選択していることも、既成概念をぶち破ってるような気持ちよさを感じます。
とても自由で、とても楽しく、とても表現したいことにまっすぐです。
大変なことも多いのですが、メインスタッフがこの組を楽しみにし、明らかにノッているのが分かります。

メインロケハンはGWごろありました。忙しいスケジュールをやりくりして金田さんも同行してくださいました。

初めて訪れた伊是名島の印象は鮮烈で、圧倒的でした。
手つかずの豊かな自然があり、神秘的で美しい景色、妖精(キジムン)のいる世界はもうここにできていると思いました。

監督は数ヶ月前に先行して伊是名島を見て回っており、主要なロケ場所はいくつかの候補地までしぼられているか、あるいはほぼ決定していて、脚本もその場所を想定したものになっていました。
周囲16キロの小さな島は移動距離も短いので、数日の滞在でもとてもたくさんの場所を見ることができ、島暮らしの生活感の参考に、民家も何軒かお邪魔させていただいたり、島の学校や公民館など、各施設が何を持っているかもチェックして回りました。

島の資料館や、那覇の県立博物館にも立ち寄り、監督や金田さん、衣装の小川さんなどと、あれこれ意見を出し合いながら見学しました。
琉球王朝関係の絵巻や工芸品など、この時ここで見たものがこの後のイメージのベースとなりました。
1.タンメーのガジュマル
圧倒的な存在感のまってら浜のガジマルを使いました。大きな衣装を着て、高齢の俳優さんがスムーズに木の上に上がれるよう工夫しました。マジルーが枝を走って見えるように、枝の向こう側にも幅の狭い床をつくりました。このガジマルは、神聖に思っている人もいるので、傷つけぬよう気を使いました。あとは、傘など工夫したことがあまり写ってないのが残念です。
撮影しながら島の空気の中にいるうちに、東京で決めてきたことは、監督の中でどんどん変化していったようです。タンメーの住処のも自然にあるような物以外、必要なかったのかな?と今になると思えてきます。
写真手前の男性が、中江監督です。

2.かまどの家

人の住んでいない赤がわらの民家を、きれいに直して使いました。庭も、内部も島のどこかからお借りしてきたものがほとんどです。抜けを隠すのとグリーンのボリュームを出すため打ち枝も多用しました。
中の飾りでは、監督に急に掛け軸は福禄寿の文字が良いといわれて慌てましたが、イメージどうりのものが運良く、島内でみつかりました。仏壇の上の遺影は照明技師の上保さんと助監督の松尾さんが協力してくれました。沖縄風に髪まで結ってとてもいい感じです。しかし、家の内部は、残念なことにほとんど映っていません。古きよき島の感じを出すために、地面を道まで砂にしました。道は車も通るので、撮影終了後に回収しなければならず、美術部だけでは半日作業。スタッフ全員が手伝ってくれました。それから、「カマドおばあはきれい好きだから砂に草はまったく生えていないはず」(監督談)ということで、全部無くすことに。真っ黒になって炎天下の草むしりを、数回あった、撮影ごとにしました。

監督をはじめ、メインスタッフは、皆さんとてもあたたかくて、相談しにくいことなど何もなかったように思います。 撮影中も、さりげなくフォローやサポートをしてくださったのではないかと思います。

上司のいない不安は、助手さんたちという新たな存在に助けられました。
彼らの人脈や、行動で物事は広がり、たくさん解決していったし、煮詰まってしまったときには、意見を聞いて話し合ったりすることで、新鮮なアイディアが沸いてきたりしました。
デザイナーになったら、助手さんて、本当にものすごくありがたいものなんだなと、心から思いました。渡辺さん、安藤君、感謝してます。本当にありがとうございます。
あっ、あと、安藤君という助手さんを紹介してくださった、サンクアールの上條さん、この場を借りてありがとうございました。とても助かりました。

今回も、ロケ加工は決して少ないほうではありませんでした。
豊富なイメージを、いかに予算内で豊かにやれるかが重要なテーマです。
今まで中江組を、金田さんと一緒にずっとやってきて、安くする工夫や、中江組の感じはある程度学んでいました。
安くする秘策は、なるべく手作り。そしてなるべく現地で調達!。

東京から、各パートの全スタッフで運べる物の量も、トラック2台分でした。
持っていくものは沖縄で入手困難なものを中心に厳選し、トラックに乗らないものは、ゆうパックを利用しました。

そして、ロケ地の伊是名島では、島にあるものは何でも貸していただきました。
島の皆さんはとても協力的で、公共施設のみならず、工務店のもちものとか、人の家の中のものまでも、上がりこんでたくさん物色させていただきました。
助手の渡辺さんがすごく分厚い借用リストを作って管理してくれ、島中のお宅
の、たくさんの借り物を、ひとつとして紛失することなく、枯らすことなく、確実に、(しかもプレゼントなどのお礼をつけて)返却してくれたおかげで、いまだにクレームはゼロです。
笑顔の素敵な、彼女の人柄におうところも多かったと思います。

大工さんは当初、「ホテルハイビスカス」などでも、大変お世話になった、読谷村で活躍してらっしゃる、舞台美術のハブスタッフに頼もうと思ったのですが、宿泊費を考えると、本島から長期間来てもらうことは、厳しい状況なので、島に一人だけいるという大工さんに、まずはお願いしてみようと思いました。
会ってみると、感じよく、撮影独特のやり方など、この辺の理解も早く、彼の連れてる助手の謙太君(16歳)も、みんなに愛される、癒し系ナイスキャラでよかったです。

最初のガジマルの工事をやってみると、二人で、あっという間に完成し、この人たちは当たりだ!と確信することができました。
その後、数々の難問も軽々クリアし、結局すべての加工が、応援なしで時間内、予算内ででき、すごく助かりました。
信頼関係ができたおかげか、今ではこの大工さん、比嘉靖さんが、自分のだんなさんになっている次第です。
3.廃墟になったかまどの家

当初、この家は廃墟になる前の「かまどの家」を飾りかえてやることに決まっていました。予算的にも、時間的にも、自分の力的にも、一軒つくることは不可能に思えましたし、同じ家を飾り変えても、表現できると思っていました。 しかし脚本を担当していた監督の奥様素子さまと監督は、実はどうしてもこの廃墟になった家を、別場所に作りたかったようだったのです。 あることをきっかけに、いろんな経緯をへて、とうとうつくることになりました。

東京で不安に思えたことも、やり始めれば解決していきました。島の大工さんは一応あった複雑な図面などもあまり見ないで、とても簡単に考えてくれ、一緒に前の「かまどの家」に行きポイントをざっくり採寸したりしながら取り掛かっていきました。
二つの家の距離は200メートルぐらい。何か分からなくなったら、すぐ近くにお手本の家を見に行けるというのが良かったです。家の骨組みが建っていっている横で石垣を崩したり移動したりも平行して作業しました。

内部も見せるつもりで、骨組みや仏壇や壁もつくり、エイジングもしっかりやりました。 私のイメージは、植木鉢から伸びた草が、家の中にも侵食し、屋根の落ちた骨組からはつるの間をぬって、光が差し込んでいるような感じです。造花はたくさん持っていました。造花メーカーが提供してくださったものと、日活、紫水園でお借りしたものなど。

あとは島中の生きた植物たちに助けられました。海岸のつる植物や福木は、猛暑の中でも丸1日くらいはしゃんとしてるし、特にアダンは採ってから相当たっても枯れず、非常に重宝しました。

撮影が近づくと渡辺さんと、ずっと屋根に上がって植物の飾り付けをしました。 監督は少しでも時間が空くとバイクでやってきて、そろそろ仕上げに向かおうと思っている私たちに「もっとやったらよくなる」といいました。またきて「だんだんよくなった」と。 内心、内部は見せたかったのですが、来るたびに、もっと盛れ!もっと盛れ!といいます。そうこうしてるうちに光も差し込まず、内部はまったくみえなくなってしまいました。

前日までに大体やっておいて、植物をいきいき見せたいから当日の仕上げが勝負です。しかも明け方から晴れでは、かんかん照りの土の暑さと乾燥で、植物はすぐだめになってしまうはず。私の希望は、夜から明け方にかけて、しとしと雨が降り、撮影隊が到着する8時ごろには雨が上がって、きれいな青空が広がるというもの。心を込めてお天道様にお願いしました。

翌日、かなり細かいお願いをしたにもかかわらず、お天気には、ばっちり恵まれました。うれしさのあまり、火事場の馬鹿力が出たようで、大きなバナナやアダンを素手で片手で振り回していたそうです。 みんなでがんばって、おかげさまで大成功でした。監督の奥さんの素子さんも那覇から現場に来ていて、このセットの出来を、とても喜んでくれました。


4.大結婚式会場

このロケ地は国指定重要文化財の銘苅家の裏庭です。畑だったところをならしました。
大きくて印象的なガジマルがポイントです。(この映画は3つガジマルがポイントとなっています。)

このシーンは、自分にとって、一番、美術監督的なことをしたように思います。時間経過が多い上、最後の大結婚式会場はいろんな動きが入り乱れ、台本に書いてあることをどうやって筋道立てて実現可能にして編曲していくか、助手時代は主体になって考える経験があまりなかった私ですが、とにかく時間をたくさんかけて、じっくり取り組みました。

安くする工夫があちこちに。地元建設会社の社長さんがビティ足場を無料で貸してくださったのでとても重宝しました。とても目を引くミルクの幕は監督のアイディア。幕で隠れた本物のガジマルと、同じガジマルの描いてある幕も監督のアイディア。地元の画家さんに描いていただきました。すごい引力を放ってます。カキワリはハブスタッフでかりたものを中心に、お墓や月がらみのものは渡辺さんに作ってもらいました。

がんばったけど、あまり映ってないものの代表、キジムンダンサーズ。振り付けもとてもよく考えられていて、すごく面白かったので、個人的にはまた見たいです。


5.恋の花の汁の入れ物
小瓶のほうは、中国の嗅ぎ煙草の入れ物から発想しました。
物語の中で最も重要な小道具だったし、ぴったりのデザインは探してもないので、今回の美術の中で、唯一お金をかけ、オリジナルデザインで造型屋さんに発注しました。
 
大きい入れ物のほうは、島の資料館で見た銘苅家の高杯を参考にしました。 漆とよく似た色のドラム缶を加工。 水を入れて自立するようになど、いろいろな機能を備えている必要があり工夫しました。 これもお得意の、お金をかけないでつくった作り物です。
6.船長の船 「ニュー世嘉冨」

島にあったサバニに飾り付けしました。 監督には「ゆり子が一目見てあきらめるような感じにしてほしい。 美術部さんにはここで笑いを取ってほしい」といわれました。ゆり子があきらめるというのは、これから向かう世嘉冨島の生活水準のこと(?)ですかね。 進貢船がや、ハーリー船や、七福神の宝船などを参考にしました。星が3つも沖縄の定番です。はじめは大きいものが良いということで2mある龍をつけていました。 しかしどんでん返しがあり、撮影数日前に小さいものにすることになりました。

話すと長くなるのでここでは割愛しますが、とても苦い経験でした。 ところが鳳凰にしようと決めたとき
に、力がわいてきて、硬いワイヤー入りのタイヤを材
料にじょきじょき、半日でできてしまいました。ムカデの旗は必ず進貢船についているもので、由緒正しそうだし、形のおかしさから取り入れましたが、由来は調べてませんでした。
気になって最近調べたら、ムカデにはにわとり(鳳凰)が正しい組み合わせだったと分かりました。 龍と、ムカデと、にわとりの、ちょっと面白い神話が由来なので興味のある方は調べてみてください。マジルーが、「それ、違うよ」とあの時導いてくれたのかもしれません。

ハネムーン船はサバニの飾りかえですが、撮影では大きい船に囲まれて、全然飾りが目立ってなく 。


私にとって中江組とは、私の仕事の年表の中で、数年おきにあって、とても輝いている特別な存在です。
参加するたびに私の足元をぽっと照らしてくれました。
中江監督の描く世界と同様に、何を大切にすればいいのかを、疲れて、見失いかけてる自分に、気づかせてくれます。
生きているという単純な事実に、力が湧いてきて、明日を生きる自信が持てるような気持ちになります。

人間も自然の一部で、祖先があって、子孫もあって、大自然やあらゆるものとともに、太古から未来へ脈々とつながって、今日生きてるということ。 そういえば、撮影中ピンチが訪れると、私の頭の中にはいろんな人の声が聞こえてきました。
やり方がわからなくて困っている私に丁寧にアドバイスしてくれた人の言葉や、
こんな状況でも、まだやれというのかと思った厳しい言葉など、さまざまな大先輩の美術監督の方々の声です。
特に、厳しかった言葉ほど、思いがけず一番励まされ、救われました。
もう無理かも!と思ったときに、あの人はまだ諦めてなかったじゃないかと、ぱっと光が差すように勇気をくれました。

私も大勢の誰かから、たくさんのものを受け取って、ここにあるのだなと思いました。
目に見えないもののご加護とは神様みたいなものだけのことを言うのではないですね。
この場を借りて、お礼を言わせてください。
今まで、ご指導してくれた皆様、本当に、本当に、ありがとうございます。

あと、振り返れば、まだまだ、本当にたくさんの方に助けられました。
無料で自社の商品を提供してくれた企業の方たち、格安でものを貸してくれた東京や、沖縄本島の方々、
それから、撮影中、ほかのパートのスタッフにもたくさん助けられました。
大変だった大結婚式の準備のときに、駆けつけてきてくれて、ちょうちん付けなど手伝ってくれた、特機部さん、照明部さん。
それから、それから・・・もう書ききれないけど、皆さん本当にありがとうございました。

初めての美術監督の経験は、私に「成せば、成る」ということを教えてくれました。今まで、助手の私がいかに根性がなかったかも、思い知らされました。
助手と美術監督の差とは、覚悟の差でした。

中江組を終えて東京に降り立つと、ビルに覆われたこの地にも、大昔からの豊かな土地の起伏が、透けて見えるような感覚になります。
人間が自分勝手に作ったような都会にも、目に見えない大きな存在は、まだちゃんとあって、私たちを見守ってくれていると確信することができるのです。

皆さんの上にも、ミルクガナシイのご加護が降りそそぎまように。

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