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すけっち
通信9(2010.3)

撮影所育ち 金田 克美

 映画の仕事を始めて、いつのまにか30年が過ぎました。大先輩を見上げれば美術出身の新藤監督、木村監督をはじめ、90歳を超えられても創造の精
神は少しも衰えを知らず現役でご活躍されていますから、まだまだ鼻垂れ小僧ながら少しずつ後輩のことを考える年代になりました。

 私は学校を卒業してから日活撮影所の採用試験を受け、撮影所のデザイナー室に入社しました。当時の日活は度重なる経営難に苦しみながらも人材育成を目的とした社員スタッフの定期採用をかかさず、「ロマンポルノ」というお色気路線ではありましたが、自社製作による自社配給とういう「プログラムピクチャー」を精力的に製作し続けていました。本編の中で5回の濡れ場、それさえあればあとは何を表現しようと自由であった豊かな土俵の上で、監督をはじめ現場を支えた社員スタッフは、その後の日本映画界をリードすることになるそうそうたるメンバーでした。

 デザイナー室には常時5〜6名のデザイナーが机を並べ「ロマンポルノ」から「一般映画」、「TV映画」と幅広く仕事をこなし、助手は作品ごとにそれぞれのデザイナーの下をローテーションで回り仕事を覚えます。入社と同時に、なぐり1本と戸井田金物店のがち袋が支給され、翌日から早速撮影現場に飛び込んだ記憶があります。

 現場で一番大きな声で指示を出している人が監督だと思い(照明の技師さんでした。)、撮影チーフがタンスにあたるキーライトが弱いので「タンス、もっとあげた!・・・」私はタンスを持ち上げ、初めてのロケハンで玄関ドアが内開きか外開きか間違え、セットとロケがつながらず撮影は中止になり、失敗は成功のもと、何を間違えてもいつしか笑い声で許してもらえた、そんなおおらかな雰囲気が現場にありました。安い給料ではありましたが、仕事の不安もなく、作品は途切れることなく連日早朝から深夜まで猛烈な勢いで仕事を覚えました。

 しかしながら、入社して10年もたたない内に日活は遂に自社製作を打ち切り、直営館を解散。当然のごとく定期採用は中止になり長らく続いた撮影所システムの終焉を迎えることになります。同じ頃、私自身もデザイナーとしてフリーとなり仕事の場を外に広げていきました。

 昨夏、東宝撮影所にて「真夏のオリオン」という太平洋戦争を舞台にした伊号潜水艦の物語を撮影しました。チーフに日活育ちのの中山慎、セカンドに「ローレライ」を手がけた平井亘、サードに清原麻祐子の布陣で、準備期間が短い中、乏しい資料集めに苦戦していたところ、協会員の和田さんから「出口のない海」で同じく伊号潜水艦を再現された東映の福澤さんを紹介していただき、福澤さんをはじめ美術チームの皆さんをが貴重な資料の山を快く貸して下さいました。強力な援軍を得て、建て込みの進行とともに、水密戸や潜望鏡、伝声管など装飾品の数々も東映の倉庫からお借りすることになり、潜水艦の建造は急ピッチで進みました。

 爆雷攻撃により艦内が激しく揺れる仕掛けについても、「出口のない海」で最も効果的だったといわれる人力による横スライド方式を教えて頂き、一方東宝美術にも「ローレライ」で試みたエアーピストンによるシーソー方式のノウハウがあり、最終的に両者の良いところを取り入れ、エアーピストンによる横スライド方式を採用しました。潜水艦の躯体を支える鉄骨部の製作は「光製作所」でしたが、潜望鏡のつり込みをはじめ、東映作品を手がけた「大澤製作所」の大澤社長にも技術面で何かとアドバイスを頂き、たいへんお世話になりました。久しぶりの東宝撮影所での仕事でしたが、日活出身の私と、東映の方々の協力もあり、今更ながら撮影所にもボーダーレスの時代を痛感しました。

 撮影所が定期採用を取りやめてから久しく時間が経ち、自社製作の激減にともない撮影所の社員デザイナー室は縮小の一途を辿りました。しかしながら

反対に、これまで敷居の高かった撮影所は一斉にフリーデザイナーの活躍の場となり、私たち美術家全員に向けて全てのステージが開放されたわけです。長い間撮影所のデザイナー室は人材育成に貢献し、次々とデザイナーを世に送り出してきましたが、これから撮影所の歴史を受け継いでいくのは私たちフリーのデザイナー全員の役目ではないでしょうか。

 現在、助手の育成はデザイナーひとりひとりが個人的に担っているのが現状です。映画美術を志し仕事を始めて間もない助手さんたちには、映画業界がどうなっているのかも皆目分からず、明日の仕事の不安を常に抱え、美術の仕事の本質も良く分からないまま、日夜泥まみれになりながら精進している姿も少なくありません。我々の業界は弱肉強食な世界ではありますが、もし身近に、かつての撮影所のデザイナー室のような大きな存在があったなら、どれだけ将来の目標に向かって強い心の支えとなることでしょう。

 美監協の活動でも、これから資料室的な機能を徐々に充実させ、(データーベース化のプロジェクトと共に)助手さんでも会員であれば自由に過去の作品の図面、貴重なロケハン写真、資料を閲覧できるような環境を整え、映画塾への若き助手さんたちの積極的参加を広めるなど、今まで以上に助手さん達に向かって開かれた場所になることを願います。
これから特に仕事を一通り覚えはじめた3〜4年目の助手さんたちにとって、準会員の資格を手に入れるという目標がどれだけ魅力的に輝き心の励みになるか、今後の協会のあり方の課題ではないでしょうか。

 撮影所の垣根を越えた「美術家全員のデザイナー室」を夢想する時、私はかつて在籍した最後の日活デザイナー室を思い浮かべます。個性豊かなデザイナーが机を並べ、映画を語り、芸術を語り、早くから若手にチャンスを与え、分からない事があったらいつでも誰かが、違う組のデザイナーでも必ず相談に乗って教えて下さった「自由な精神」に満ち溢れていたことを。

写真提供・綿引一也氏


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