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 『埋もれ木』という映画をつくる ― 横尾 嘉良 記 ―
  ≪記録1≫ ≪記録2

博士の愛した数式
 
博士の愛した数式
博士の愛した数式

≪記録≫  (2)

こんなにいろんな顔や姿があったのだ。長いこと自分なりに多くの顔、姿を絵に描いて来たつもりだったが、 まだまだ描き足りないものがあったか、などと今頃あらためて思った。 主役は「まち」という名の高校生の女の子。それを選び出すオーディションが始まった。
応募して来た6千余人の中から書類選考で残った千数百人の女の子達に逢う作業が、今日の東京を皮切りに始まる。 セーラー服が似合うだろうか、携帯電話をどう持つのだろうか、画面の中のまちを思い浮かべながら あれこれ思い惑う。1回に5〜6人、5時間で70人程。小栗監督の面接は優しくていねいだ。 彼の性格そのまま、時には俳優論めいたものに及び、1回の予定時間がどんどんずれこんで行く。 いつ終わるのか分からなくなるが、一向に苦にならない。ただ座りつづける椅子が不安定で尻が痛くなってくる。 選考会場は‘劇団ひまわり’の稽古場の一つで、一面が鏡張りの壁の前にバレエ用のバーがある。 それにつかまって屈伸運動をして腰を伸ばす。

監督の望む「深い眼」をした子はまだまだ出てこない。関東周辺から応募の約300人は14、5才から 24、5才まで。眼の光る子はいない。当然だが、監督が2次に残す子と私の欲しいそれとは微妙に 食い違っている。演ずる人と共存する映画美術の仕事が今、共に始まって行く。 東京での3日間が終わった。

椿という花はこんなに多くの種類があったのか。 「S#77―まぼろし、森の中の沼を囲む赤い椿がいっせいに狂い咲いている....」 3月この花が盛る時、合成作画の為の素材として花や木の姿を撮っておかなくてはならない。 千葉大原の椿園、横浜のこどもの園の椿山等など群ずる所を求めてロケをする事になり、 だが、監督は今のところプロデューサーとして忙しく、撮影監督は未だ存在しない。スチール担当の キャメラマンとデジカメを携えて撮りに出掛ける。「山の中に咲くやぶ椿は幹が曲がりくねって 花辯は一重で...」と、平松礼二画伯は言う。「眠る男」でも協力して貰った画伯は監督の古い友人、 今回もいくつかのシーンで絵描きのイメージから発するものを小栗さんは求めているようだ。 どんな絵が生まれるのか楽しみだ。

が、画伯のいろ眼で見ると、千葉も横浜も花も枝振りも風情に欠けるようで、物足りない。 映画としてのフィニッシュは映像、画面にのみ残る虚像、椿の花に限らず私の仕事の結果はすべて虚像。 が、それの持つ自由さのとりことなって、何十年経ったか、花も女の子も今ひとつ、いや今幾つかまだ 欲しいものは見つかっていない。吉永小百合、夏目雅子、薬師丸ひろ子等など、そんなに簡単に見つかるものか。 だがきっとどこかに居る筈、とおもう旅の始まり。

椿の沼のイメージを描いている時、西に向かってオーディションの旅に出た一行から「萩市笠山椿群生林に 60余種、2500本のやぶ椿の群生林が4月中旬まで盛っているーこの旅の途中見てくる」という情報が入った。 良ければいずれ4月に入って撮りに行くことになるのか。 HDで描き出す映画を目指す、だが作り出すのは人の手仕事、今更やぼか、とはいいながらそれが今の私には 唯一の寄り所かも知れない。 あ、そうだ。小栗監督から、行定勲監督の「きょうのできごと」を観ておいて、というメッセージもとどいていた。 「花とアリス(岩井俊二監督)」は主人公が女子高生でHD作品だし「きょうのできごと」はくじらを廻る 若者のものがたり、「埋もれ木」と何かバッティングするところでもあるのか、とにかく観よう。                 
―‘04、3月―。


 
博士の愛した数式
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博士の愛した数式
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≪記録≫  (1)

夕暮れのカミヒノキナイに来ている。
秋田内陸縦貫鉄道は、角館が起点。マタギの阿仁町を経て鷹ノ巣に至る沿線の一駅「上桧木内」は、 たつこ姫が住む田沢湖のほとり。
2月10日、この秋田県西木村上桧木内で行われる「紙風船上げ」が、西木の冬祭りのメイン行事だ。 益子の小栗監督宅を出発したのが‘04/2月10日午前9時30分。同行者の顔ぶれは、小栗康平監督、 佐々木伯プロデューサー、ドライバーとして李潤午助監督、そして私の4人。

日本のどこにでもあるような町だが、どこにもない町が舞台。或る日、その町を流れる川の河川敷にある ゲートボール場が大雨で崩れ、三千年前の埋没林が顔を出す。 ラストシーン、掘り起こされた埋もれ木を囲んで老若男女、町の人々のカーニバルが始まる。 主人公の女子高生“まち”達若者が紙風船に灯をともして上げはじめる。

そのモティーフとなった上桧木内の祭りを、真冬、観に来ているのだ。 暮れなずみ、やがて真黒になった空へ舞い上がり、みるみる小さくなってオレンジ色の星の様にまたたいて 消えて行く紙風船の数々がそれだけで感動的だ。
終りを待たず再び田沢湖を廻って盛岡に出る。田んぼを踏み固めた会場に立つこと数時間。紙コップ一杯の 熱かん位ではとてもとどかず、しびれていた足の指先にやっと感覚が戻った頃、わけあり気なマダムが不愛想に 応対する駅裏のビジネスホテルに到着―1泊。 あくる日、快晴。花巻を経て遠野町へ。四周を山で囲まれた盆地の暮らし。出口なしのこの閉塞感からの 脱出がモティーフの一つなら、どう表わせば...などとつい思ってしまう―いや、まだまだ早々。はやい!― サムトの婆が戻ったという、町はずれの登戸橋のたもとから眼前に拡がる猿ヶ石川の中州は、雪におおわれて 真っ白。対岸の遠野の町並みも白い屋根が連なり、その上にかぶさる様な早池峰も白。雲一つない青空。 まさに冬景色である。 町中に戻ってコーヒー店で一服。漬物等土産品がならぶ入口近くには番台の様な帳場。 そこにどっかりと腰を据えた老女は九十才、マスターの母上で町育ち。生まれてこのかた町を一歩も出たことが ないそうな。民話や言い伝えは知らぬとのこと。 ふるさと村の一室をうずめ盡くしたオシラサマ!の話は又のことにしよう。あの色とカタチ!... いや、又のことにしよう。 花巻に戻り、宮沢賢治記念館に寄る。ロビーの一角にあるコーヒーカウンターにおかれたファイルをのぞくと、 賢治の自筆原稿の精巧なカラーコピーが次々と。雨ニモマケズが一枚1500円とある。...ここでも商いである。

ラストシーン、S#89−旧ゲートボール場(夜)には「秋のおわり、」とある。宴が進むにつれて、三千年の時を経て 登場した埋もれ木の上には緑輝やく若葉がうねり、ひろがりつづけ、舞い落ちつづける、とある。 また、或るシーンには「昼とも夜ともしれず...」というト書きもある。 いつもの小栗康平脚本ここに極まれり、というところか。

「ファンタジー?」という問いかけに、「基本はリアリズム」と答える小栗監督。
HDでの映像表現に初挑戦する小栗組。

その仕事に私も参加する。                 
―‘04、2月―。
   
 

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