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すけっち

ボランティアに参加するという事

ピースボートの災害支援ボランティアに参加して来ました。場所は宮城県石巻市。ピースボートのコーディネイトしているのが石巻市という事で、石巻市になったのですが、ボランティアに参加する動機というのが不純というかあまり立派な動機ではありませんでした。
とりあえず災害現場、被災地をこの目で見ておきたい。見ておかなければならないのではないか。この未曾有の震災を日本人として体験しておくべきではないか。という思いでいました。ただ見るだけ、対岸の火事という思いもどこかにはありました。それでも見ておくべきだと。しかし、交通手段は?車で行ってもお金はかかるし、邪魔になるだけかも、宿泊はどうしよう?いろいろ考え、ネットで災害支援のボランティアのページを探し、一番安く(これまた不純?)参加できるのがピースボートのボランティアだったのです。

 ゴールデンウイークが開けボランティアの人数が激減している事もあり、短期の募集が始まったところでした。7月6、7、8日という三日間の活動プランに参加してきました。それまでに説明会とオリエンテーションを予約して(約一週間前の6月26日)受けて、そこで説明にあったものを出発までに準備して、5日の夜に新宿を出発(ピースボートが手配したバス)し、6日の朝から作業に入り、9日の朝石巻を出て帰京(帰京は自己手配の手段でも可能)という流れです。

 説明会のその場でグループ分けされ、だいたい1チーム3〜4人の班に分かれその班のチームリーダーを決める事となります。結果、自分がチームリーダーとなった訳ですが、なるべくしてなったというか、私が参加したその三日間は平日であった事もあり女性が多く、年齢的な面からもリーダーにならざる得ない感じでした。実は自分たち映画屋(映像の現場で仕事している者)は、このボランティアのチームリーダーは向いているような気がします。バス移動の車中泊しかり、知らない人たちと一緒に雑魚寝すること、寝袋がいる、カセットコンロがいる、安全長靴がいる、革手袋がいる、汚れても良い作業ズボン、ヘッドライト、などなどいつも使っているものだったり知り合いのスタッフに聞けば誰かが持っていそうだったり、やはり一番は、今までに面識のない人たちとチームを組んで仕事するという事が、映画屋には全く違和感なくできるはずです。皆の体調を見て休憩を入れたり、作業状況によって昼食時間を決めたりすることもいつもの仕事と変わりません。しかし、全部で6班チームがあったのですがそのチームリーダー6人の中の代表として本部との連絡係になったので、携帯電話のメールのやりとりの多さには閉口してしまいました。

 7月5日の夜21:15新宿中央公園集合。やはり結構な荷物の量になってしまい、自宅から駅、新宿駅から中央公園までの道程が一番大変だったかもしれません。水2L、三日分の食糧、長靴、カセットコンロ、着替え(風呂なし洗濯不可)、ヘルメットなどなど。帰りは水と食糧が無くなるので少しは楽になるかなと思いつつ早めに中央公園へ。片道2500円、往復5000円のところ、なぜか往復1000円という事になりラッキー!(どこまでも不純ですが)どこにも必ず遅刻者という人はいて、出発したのは21:30。しかし我ら17次チーム全6班総勢24名は優秀らしく、30分以上の遅刻という強者もたまにはいて22:00出発というのが普通らしい。だいたいが土日を利用したりするのでバス2〜3台の大人数だそうです。我々は1台でも余裕。サービスエリアでの休憩を挟みながら東北道を北上。宮城県に入り大和ICで降りて大郷町というところの道の駅に着いたのが午前3:00。6:00まで時間調整をして再出発。
7:00に石巻市内のはずれにある「カスカファッション」という元は洋服の工場だったという建物に到着。ここがベースキャンプとなる訳ですが、外には仮設トイレが並び、物干し場と道具洗い場、一輪車がズラリ。入り口はいってすぐの大きなフロアに、ブルーシート(グリーンシート)で囲われた女性部屋があり、その手前には男性長期チームの寝るスペース(囲いは全くなし。テント状の蚊帳を張ってる人も)と、我々短期チームの寝る場所(高さ1mくらいの段ボール製の囲いあり)。他にミーティングするスペースと、キッチンスペースとして火の使える場所があって食事は必ずここで。この建物も一階は津波で泥まみれだったのをなんとかきれいに掃除して私たちのようなボランティアが泊まれる場所として確保されたようです。その前から入っているボランティアの人たちがテント生活をしながら作業されたようです。本当に少しづつの積み重ねだという事を実感します。

これからの活動についての説明を聞き、各自荷解き、着替え、朝食をとって8:30頃に作業開始。私達1班と2、3、4班は、またさらにバスに乗って石巻の中心部へ移動。「アイプラザ」という所を基地として(となりでは自衛隊の仮設浴場が設置されていた)スコップ、バケツ、土嚢袋など必要な道具を一輪車に積んで、班ごとに分かれそれぞれの作業現場へ。私たち1班は歩いてすぐの商店街にある「サルコヤ」さんという石巻では有名な玩具と楽器を扱っているお店へ手伝いに行きました。ここは旧北上川の近くで、津波はその旧北上川を逆流して襲ってきたようです。車は普通に走っていましたが、街灯が折れ曲がった状態で、信号がまだ復旧していないので警視庁の警官が交通整理に立っておられました。泥がかぶったまま倉庫に積み上げられているおもちゃを一点一点水洗いしたり、店内のショーケースを掃除したり、既に泥は一度掻きだしているらしいのですが、まだまだ隅の方には溜っていて壁には背の高さ位まで浸水した痕がはっきりと残っていました。泥まみれの倉庫の奥から手押し台車を出しまだ使える事が判明すると大変喜ばれ、本当にちょっとした事しか出来ないのにとても感謝されました。ピースボートは震災後すぐにここ石巻に入り、地元の人たちとの信頼関係を築いていったようです。その日どこで何の作業が求められているか?それを的確に判断し我々ボランティアが出来る事を提供する。ただ現場に行けば手伝う事があるかもしれないと思ってもそうはいかないもの。ここはその土地、土地で活動しているボランティアコーディネイト団体を通して参加するべきだという事がよくわかりました。「東京ガス」や「ブリヂストン」などの企業も、現地までの交通手段から宿泊までは自前で、現場の作業はピースボート仕切りという形でボランティアに参加していました。

すべてを奪い取られ、食べる事、寝る事など、ごく普通の最低限の日常生活すら必死な人達にとってみれば、その他の日常に起こりえる雑事までの気力を奮い立たせるのが、並大抵の事ではないのかもしれない。そこの部分に少しでも手を差しのべる事がボランティアとしての仕事のような気がしました。ボランティアが主導権を握ってはいけない。その家の人、その工場の社長さん、その店の店主の方、皆さんが望まれる事を望まれるように手助けしてあげる事が求められているのです。全体からしてみればほんの少しの事でしたが、例えばその倉庫ひとつがきれいになり元に戻るという見込みがでてきただけで、次のステップが踏み出せる足掛かりになったとなれば、ひとつひとつ小さな事でもやり続ける大切さを実感しました。ピアノを30台以上処分したそうです。ピアノ教室に通って来ていた子供たちもバラバラになってしまいました。「サルコヤ」の看板マスコットでもあったニホンザルの太郎は36歳という年齢まで生きた(ギネス記録申請中だった)のに溺れて死んでしまったそうです。いろんな話を聞かせていただきました。必ず再建するという意気込みをヒシヒシと感じました。被災地で逆にパワーをもらって来た感じです。

 本当はいろいろな所を見て回りたかったのですが、災害支援ボランティアで行っている訳なのでそんな我がままは出来ません。バスで通る車窓からの惨状を写真に撮りました。日和山には連れて行ってもらいました。避難した人達が自分の家が流されていくのをただ呆然と見守ることしか出来なかったあの場所です。そこから見た海側はまだ荒野と瓦礫の山でした。自然の猛威。人間の造った物で破壊できないものはない。圧倒的な力をまざまざと見せつけられました。今現在の石巻の状況を東京に帰って伝える事も短期ボランティアの役割であるのは確かです。
 現地ではまだまだ、人の力を求めています。私のように動機が不純でも現場へ行ってみませんか。行けば必ず何かを感じられるはずです。人のため、被災地のためと大仰に考えず、自分のために現場に立ってみてはどうでしょう。
この目で見る事、現場で感じる事が、表現するという仕事に携わっている自分たちの使命ではないでしょうか。
[宮城県石巻市 日和山公園より]  



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