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られると、歯並びが悪いせいか頬の内側が切れて口中に拡がった血の味を、私は何度も味わった。戦争中の事である。
かにつけて狂ったかのように殴ってまわる教師だった。軍人でもないのに、テンノウの「テン」の字を聞くや否やバネ仕掛けの人形のようにチョクリツフドウ(直立不動)の姿勢をとり、我々もそれを求め、その動作が遅いといってまた殴った。

1945年夏、旧制中学3年だった私は、天皇の降伏放送を動員先の明電舎工場で聴き、そして廃墟と化した新宿のはずれに在る学校に戻ることになる。
復員した軍服姿の級友も混ざった教室には例の教師が媚びるような薄笑いを浮かべて待っていた。何人かが教職を辞された中で、彼にとってはお上がマッカーサーに取って代わっただけの事にしか過ぎないようだった。

を背けたくなるような豹変ぶりだった。
私は教室を出て、歩いて数分の教室=映画館に足が向くようになっていた。

勢丹のむかいにあった「光音座」、ストリップから転じた帝都座上階の「名画座」、いつも満員で頭五越しにつま先だって観たソフトフォーカスに潤んだフランス女の瞳…。フィルムノアール、武蔵野館は内部が焼けたのか剥きだしのコンクリートの段々に教科書を敷いて観た同じ焦土に生きるイタリア…ネオリアリズム。そこは、あまりにも矮小だった教室から解き放たれて様々な世の中に拡がる私の教室になった。

がて私がこの道に向かうきっかけになったのは、ひょっとしたら、あの反面教師との出会いが有ったからかも知れない?

 

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