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西岡善信
西岡善信『大化改新の美術考証を担当して』
二〇〇三年・残暑・九月 「大化改新」制作に向かって始動することとなった。
 発想の起点は、折角の機会だがら、古代飛鳥の聚落づくりからはじめることとした。

一、聚落は現地「明日香」に再現すること。二、古代を彷彿とさせる借景の地であること。の二点を、ロケハンの優先テーマとして進めた。石舞台裏の丘陵から祝戸、また桧隅の山の手にかけて歩き廻る日々が続いた。そして、イメージの地が見つかった。 栗原という休耕畠の斜面で高松古墳を左眼下に、正面は遠く二上山、その前に畝傍山がくっきり望見出来る。 赤とんぼの舞う中、スケッチブックに古代のありし姿を画き始める。目の前の借景と古代が混淆しながら溶け合って絵になっていくのを感じつつ・・・。 明日香の原風景には、古代ドラマを誘発する何かがある。

さて、中臣鎌足の住居についての検証など、史料調査が進むにつれ、宮殿、寺院、豪族の邸等にくらべ庶民に関するものは極めて少ない。そこで、東北や九州など地方に点在する遺跡から類推して竪穴住居に、堀立建物を加え、明日香古代聚落の佇まいを創造することとした。鎌足の住居の「かたち」は関西の高槻に復元された「埴輪工房」の様式を取り入れた。切妻造り茅葺き、庇は杉皮葺きとした。
柱は、黒木(皮付き原木)。この材木は丹波から栗原に直送。
茅葺きは明日香地元の稲渕棚田の風物の稲がけのわらを農家から譲り受け、工法の縄も昔風の手づくりで作ってもらうやら、まさに村を挙げての「古代飛鳥の里づくり」となった。

里の入口には、木彫りの鳥が三羽とまっている門(鳥居)を建てた。夕焼け空にシルエットで浮かび上がる様は、古代を偲ぶ風情となった。

この栗原の里に続いて、次は木津川畔に開拓で移住した「三島(大坂)」の鎌足の次なる住居を建て始めた。又、京都の撮影所では、蘇我入鹿の邸が壮大に立ち上がり、径七寸の丸柱はこのために半年前から原木を削って作っていたものだ。三カ所での作業で多忙な三月半ば、栗原の現場に地元の方が見えて「島の庄の元小学校校庭で『馬子の邸』と思われる屋敷跡が発掘されて大騒ぎだ」と知らされ、急いで現地に向かった。
 先ず目に入ったのは、柱の直径穴と柱間の間隔だった。発掘作業中の人に「その柱穴の径は、七寸ぐらいでしょうか?」と尋ねた。その人は怪訝そうな顔をして「そんなとこでしょう」と応えてくれた。「有難うございます」・・・大成功。祝杯をあげたい気分だ。ところが、同時期に発掘された浄御原宮殿を見て「矢張りそうか・・・」と考え込んだ。目前の宮殿跡がぎっしり石敷になっている。これから建てる「大極殿」の高床下まで、石敷にしなければならない。幾十トンの石が要るだろうか。一喜一憂の「発掘」日であった。。

春、四月の訪れと共に、栗原に創り続けていた古代聚楽のまわりには野生の菜の花が咲き乱れた。四月九日!撮影の初日を迎えた。古代飛鳥人のエキストラには各部落から、老若男女が賑やかに出演することになった。
 春草の上を走り廻る子供達。古代人たちの動き、構想から十ヶ月・・・古代ドラマは再現された。

最後にこのドラマで解決しなければならない件が残った。それは、入鹿謀殺の口火ともなった、甘樫の丘あたりに構え始めた蘇我氏の邸宅についてである。大化改新の一年前(六四四)、どういう規模のものであったろうか・・・要塞のような城柵は?全く資料が無い!時代的に少し降るが、東北の「志波城南門」や「払田柵跡」を参考に、法隆寺東門あたりの築地塀をあしらって創作することとした。「蘇我入鹿邸遺構、出土!」「明日香村、甘樫丘・・・」と各紙一面で大々的に報ぜられたのは「古代史ドラマ・大化改新」を完成してから、一年後の平成十七年(二〇〇五)十一月十四日であった。

 

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